書評

葛藤と痛みを見つめる書

内田良

 ページをめくる指が、重く感じられた。
 これまで私は、過労で未来を断たれた教師の遺族に複数出会ってきた。命を落とさないまでも、「子供のため」に自己犠牲を強いられることへの不満も、数えきれないほど聞いてきた。一方で、教職に深いやりがいを感じているとの声もまた、現場に多くあふれている。
 教師の長時間労働を、素朴に害悪だと描くことはできない。教師として満たされる場面もたしかにある。だが、教師が倒れている。教壇を去ろうとしている。だからこそ、学校の働き方改革は進められなければならない。
 額賀澪さんが大人と子供の関係を描くとき、私はいつも、子供と対等に向き合おうとする大人の覚悟に胸を打たれる。
 働き方改革の急先鋒である宇佐崎校長は、着任時の生徒向けの挨拶で、「あなた達にするのは相応ふさわしくないかも」と前置きしつつ、同校で一人の教師が「過労死」したことを丁寧に説明した。主人公の藤木先生は、「部活動廃止」を掲げる宇佐崎校長と、もっと練習したいバレー部部長の七原ななはらさんとの間で揺れ動きつつも、七原さんに対して「誰かに負担を押しつけて平気な顔をして生きることを、生徒にしてほしくない」と、自身の思いを告げた。
 パターナリスティックに子供を囲い込み、情報を統制するのではない。人の痛みに、人として向き合う。そこに、大人と子供の境界はない。自分の立場が何であろうと、さまざまな葛藤を抱えようと、人の痛みを見過ごしてよい理由にはならない。
 膨大な教育活動は、教師の長時間労働によって支えられてきた。問題は、そのことに私たちが長らく無自覚であったことだ。私はこうした状況を「学校依存社会」と呼んでいる。藤木先生の問いかけは、作中の生徒だけでなく、私たち自身にも向けられている。誰かに負担を押しつけて平気な顔をしてきたのは、いったい誰なのか。藤木先生の言葉に、ぜひ耳を傾けてほしい。

「青春と読書」2026年9月号転載