わたしを庇わないで
SHARE
わたしを庇わないで

わたしを庇わないで

著者:石田 夏穂

定価:1,980円(10%税込)

内容紹介

100万部読まれてほしい、史上最高のデブ小説!
九段理江さん(小説家)

この一年で読んだ小説の中で、一番好きかもしれない。
ラランド・ニシダさん(お笑い芸人)

あなたは人に「デブ」と言えますか?
欺瞞の薄皮をぴりりと剥ぎとる、
笑いと皮肉てんこ盛りの、傑作中編小説集!

三國造船で働く安井は、職場の人たちを「サンゾウ」と一括りにし、直視せぬようやり過ごしてきた。労働組合からの要請を受け、改めて個々のサンゾウを観察し始めるが……。
――「世紀の善人」

小学校を卒業した望は、友人とディズニーランドに行く計画を立てたが、自分の顔が嫌いで乗り気になれない。「奇跡の一枚」を目にしたことで、自意識が変わり……。
――「小人二十面相」

タナマル水産の広報部員として働くアヤノは、自他ともに認める「デブ」である。担当する食べ歩き企画で、その食べっぷりと自虐ネタが「おもしろい」と話題になり……。
――「わたしを庇わないで」

プロフィール

  • 石田 夏穂 (いしだ・かほ)

    1991年埼玉県生まれ。東京工業大学工学部卒。2021年「我が友、スミス」が第45回すばる文学賞佳作となり、デビュー。同作は第166回芥川龍之介賞候補にもなる。他の著書に『ケチる貴方』がある。

わたしを庇わないで  石田夏穂

 私は車を運転するとき最も自分を太っていると感じる。私の人より分厚い皮下脂肪が「ここの砂利は揺れますな」とか「いま歩道に乗り入れました」とか「あの段差にはいつもヒヤリとさせられる」とか、微細な振動をキャッチしてくれるのだ。腹の肉、腿の肉、顎の肉、頰の肉。写真や鏡に映る自分を見るよりよっぽど内側から感じる。

「意外にレシピには反響ないよね。やっぱプロの調理だと真似しづらいかな……」

 ナナミ先輩はタナマル水産のインスタグラムを見ている。ああいう絵に描いたような指と爪で操作されれば、スマホもスマホ冥利に尽きるだろう。先月「開設」されたばかりのアカウントは広報部長の肝いりだ。

「ですね、そもそも『あとは焼くだけ!』が売りなのに、ちょっと矛盾した企画ですよね」

 ナナミ先輩はカーナビに「目的地まであと五分」と言われると助手席側のサイドミラーを覗き見た。ここは本社から車で三十分の郊外の商店街だ。私たちはタナマル水産の広報部員で、いまから取引先の飲食店にインタビューしに行く。

 赤信号で止まった反動でシートベルトが肉に食い込む。私にとって赤信号は「止まれ」というより「you are デブ」だ。シートベルトも「あなたを守ります」というより「you are デブ」だ。

 五分後、私たちは小さな定食屋に到着した。駐車場が二つとも埋まっていたため、ひとまずナナミ先輩が挨拶に出る。時刻は昼時を避けた午後三時だが、なかなか繁盛しているようだ。

 創業五十年、タナマル水産のスローガンは「海の力で人を笑顔に!」だ。このたび初めてソーシャルメディアに手を出したのは、一般家庭向けの「魚のサブスク」が急に伸びてきたからだ。それまで飲食店なり給食業者なり教育機関なり介護施設なり、取引先はほぼBtoBだったが、これも時代の流れなのか、冷凍した「あとは焼くだけ!」の魚の切り身(骨なし)は堅実な売れ行きを示し、ならばとさらなる普及を図るべく、タナマル水産の商品をプロはどう扱っているか? を定期的に発信していこうとなり、こうして週に一回のペースで取引先の飲食店を訪ね歩いている。

 店先にナナミ先輩が戻ってくると、私はのっそりと運転席を降りた。店の裏手まで魚特有の生臭いにおいが漂っている。

「コインパーキング、ちょっとここから離れてるんで、私ここでサバ吉になります」

 私たちは二人して並ぶと『美女と野獣』の初日公演のようになる。ナナミ先輩はそれこそディズニープリンセス的な政府公認系の美女だ。「サバ吉」とは、タナマル水産のキャラクターで「タナマル水産のお魚が大好きなサバトラ猫(5さい)」とされている。着ぐるみの着用に少々時間がかかるため、いつも駐車場が遠いときはナナミ先輩に車を停めてきてもらう。

「いや、今日は私がサバ吉になるわ」

 のしのしと車の後ろに回り込んだ私は「え?」と振り返った。

「ごめん、ちょっと胃が痛い」

 いつも、と言っても今回でまだ五回目だが、いつもは私がサバ吉、ナナミ先輩がリポーターという配役だ。ナナミ先輩は普段から完璧なメイクアップで知られる人で、首から下こそタナマル水産の紺のユニフォームだが、今日は特に撮影を意識してのそれであることが窺い知れる。

「……じゃあ『いただきます』のとこだけでいいんじゃないですか? 食べてるポーズでもいいし」

 何が悲しくてこの大和撫子がサバ吉の内容物にならねばならないのだろう? トランクに押し込まれたサバ吉の着ぐるみは相変わらず遺体のように不気味だ。首から下はヘロヘロと横たわっているが、頭部はハードな素材でできているため形を維持している。

「いや、申し訳ないんだけど、今日はあなたがやって」

 ナナミ先輩は見事なストレートヘアとともに首を横に振った。

「あれ、第五回、ナナミさんはどうした?」

 案の定、私がリポーターを務めた投稿は、いつもの八分の一の「いいね!」だった。これを疑問視した広報部長が声を上げ「なんか急にお腹の調子が悪くなったみたいで……」と私は釈明することになった。

「もう先方に挨拶した後だったので、出直すのも悪いと思いまして……」

 すみません、と出かかったのを危うく飲み込む。卑屈なデブほど扱いづらい生き物もいない。

「いやいや、全然いいんだよ? ただ何でかなーって思っただけ」

 部長は何でもないような口振りだが「全然いい」は嘘だろう。このSNSへの投稿は社内イントラの記事にもなり、社長以下役員たちもチェックしている。部長はまだ三十代と肩書にしては若いほうだが、上から期待されてのSNSを着任第一弾としておっぱじめたのはこの人だ。大方、部長も上層部の誰かに「ナナミさんはどうした?」と訊かれたのだろう。

 当のナナミ先輩は今日は金曜日なのでリモートワークの日だ。ナナミ先輩は私の六つ上の元営業部員で、第一子の育休が明けたタイミングで広報部に移ってきた。

 異動初日、ナナミ先輩は「はじめまして」と私に挨拶したが、私はかねてナナミ先輩を知っていた。ナナミ先輩は謂わば「タナマル水産のファーストレディ」で、例えば社のホームページのトップ、社員紹介ページの筆頭、採用活動ポスターの常連などなど、あとそれこそ広報なのでよく知っているが、たまに各種媒体から取材が来ると真っ先に候補に挙がる人だ。恐らくナナミ先輩を知らない人は社内にいないだろう。そもそもこの「食べ歩き」企画がスタートしたのもナナミ先輩が広報部員になったからだ。

 なのに、こんな私がピンチヒッターを務めた結果、第五回は大敗を喫した。私は身長百六十センチ、体重八十五キロ、体脂肪率はいつも違うからわからない、BMIは三十オーバー、スリーサイズは百強、百強、百強、と、要するにデブだ。

「次の訪問先は決まってるの?」

「来週伺う予定です」

 そうだ、と負傷していたサバ吉を思い出す。前回、ナナミ先輩が店の引き戸に派手に擦っていた。私も最初のころは苦労したが、着ぐるみでの移動にはコツが要る。

「その日は彼女、来るんだよね?」

「はい、その予定です」

 胃の調子は知らないけどな、と心に唱え、私は立ち上がった。

 サバ吉の頭は擦られたガードレールのように汚れていた。サバ吉は淡い灰色なので目立つと言えば目立つ。濡らしたタオルでトントンするも汚れは払拭されず、こうして着ぐるみって劣化していくのだなと太い身をもって学ぶ。

 よく「もしなれるとしたら何の動物になりたい?」という子供じみた質問があるが、それこそ「猫」とか「鳥」とか「コアラ」とか「なまけもの」が票を集める中で、私は幼いころから食用の家畜になりたいと思っていた。サバ吉を見るといつもそのことを思い出す。食用なら太っていることにそれなりの意味を見出せる。加えて無駄に長生きすることなく元気なうちに他界させてもらえるだろう。

 ふとデパートの化粧品売り場のようなにおいが漂う。どうやらナナミ先輩の残り香のようだ。先のリポーターになったときの胸騒ぎを思い出した私は、衝動的にサバ吉の頭を被った。ところが、普段はそうすると五感が抑制されて落ち着くのに、当然だが、化粧品売り場のにおいは強まった。

 私ははっきり言って、サウジアラビアなどの地域に見られる全身を覆う衣服が羨ましい。あれは女性への抑圧だという意見も理解できるが、デブにすれば解放だ。食べる量は普通、むしろ少ないほうなのにこうも昔から太っている私は、一般的なカロリー熱学を信じていないが、思春期のころに星の数ほど試みたダイエット法もその反証でしかない。私は断食しても摂食症になりかかってもデブでありつづけた。私はゆりかごから墓場まで絶え間なくデブなのだ。

 ナナミ先輩の「ちょっと胃が痛い」に私は懐疑的だ。あれほどバッチリ化粧しておきながら「いただきます」のポーズすら取れないのは不自然だろう。と言うのも、私が入社して広報に配属されたばかりのころ、NHKから「日本の水産資源が危ない!」的な取材が申し込まれ、その対象に例によってナナミ先輩が担ぎ出されたことがあった。そのときナナミ先輩はそろそろ産休に入るタイミングだったが「産休中でも出ます」と意思表示し、広報としてはホッとしたが、当のNHKの来訪がズルズルと後ろ倒しされ、結局いざ取材となったときナナミ先輩は既に産休入りしていた。さすがに「産休中でも出ます」はリップサービスだろう……と憚りながら念のため連絡したところ、果たして、ナナミ先輩は「行きます」と有言実行し、大きなお腹をテーブルで隠しながら取材対応を完遂したのだ。恐らくあれを観た視聴者の中に彼女の身重を見抜けた者はいなかっただろう。私などは分娩に関するリテラシーが皆無だったから、もし破水したらどうしよう、倒れたらどうしよう、それよりこれって安衛法違反では? 産休中の人に取材を受けさせていいのか? とヒヤヒヤしどおしだったが、つまり、ナナミ先輩は仕事のためなら臨月でも参上する体育会系であって、そんな人物が胃が痛いからといって「いただきます」のポーズが取れないとは思えない。

 ようやくサバ吉の頭を脱いだ私は、ブンブンと自分の頭を振った。すると全身の皮下脂肪がヤイヤヤイヤと一緒になって揺れた。駐車場を後にすると太陽が眩しく、午後二時であることを感じる。海の力で人を笑顔に! 社のスローガンは社屋に併設されている加工工場の壁にデカデカと書いてある。すぐそこの首都高を走る運転手の目に必ずや留まることだろう。私は誰も笑顔にしたことがない。したいと思ったこともない。そうする必要があるのか疑問に思いながら、もともと細い目をさらに細めた。

【続きは書籍にてお楽しみください】

おすすめ書籍

我が友、スミス

石田 夏穂 著

黄金比の縁

石田 夏穂 著

いい子のあくび

高瀬 隼子 著

新着コンテンツ