刊行記念インタビュー

書評

明治維新を駆け抜けた女性翻訳家の一代記

評者・東えりか

 

 最初に『小公子』を読んだのは十歳前後であったと記憶している。当時自宅に毎月届く「少年少女世界の文学」(河出書房)を楽しみにしていたのだ。この全集で私は広い世界と小説の面白さを知ったと言っても過言でない。実家にまだあるというので母に翻訳者を確認してもらうと「川端康成だ」という。そうか、私は川端康成訳で『小公子』と『小公女』を読んだのか。

 原題は『リトル・ロード・フォントルロイ Little Lord Fauntleroy』”小さなフォントルロイ卿”とでも訳すのだろうか。著者はフランシス・ホジソン・バーネットというアメリカ人の女性作家である。この作品を明治二十三年に本邦初訳し、『女学雑誌』に連載したのが本書『空を駆ける』の主人公若松賤子である。

 著者の梶よう子は「桜田門外の変」における人間模様を描いた松本清張賞受賞作『一朝の夢』でデビュー。江戸幕府の薬草園を舞台にした「御薬園同心 水上草介」シリーズ(集英社文庫)や浮世絵師の世界に光を当てた『ヨイ豊』(講談社文庫)など幕末の市井の人々を描いた作品を多く発表している。また『墨の香』(幻冬舎時代小説文庫)や『ことり屋おけい探鳥双紙』(朝日文庫)、『葵の月』(角川文庫)など凜とした女性主人公を描いた作品も人気が高い。

 だが意外にも明治時代を舞台にしたものは少ない。本作では明治維新という時代の大変換のあと、女性たちがいかに生きたかを梶よう子らしいテンポのいい文章で活写していく。

 明治維新直後、女子教育への熱が高まっていた。明治四年には初めて、数え八歳の津田梅ら女子留学生五名が渡米したことは広く知られている。主人公のカシ(若松賤子)も女性の教育と英米文学翻訳に命をかけたひとりであった。『空を駆ける』は梶よう子が満を持して放つ女性の一代記だ。

 幕末に会津藩士の娘として生まれ、愚直なほどの会津の精神を叩きこまれたカシは過酷な戊辰戦争を辛くも生き抜いた。

 早くに母と死別し、父の命によって横浜の生糸商人の番頭、大川甚兵衛の養女となる。

 ただ横浜での暮らしがカシの運命をひらく。教師のメアリー・エディ・キダーとその夫ローセイとの出会いだ。医師で宣教師のジェームス・カーティス・ヘボンとその妻が開いていた私塾でキダーの生徒となり英語とキリスト教を身につけた。

 まもなくキダーとローセイ夫妻は横浜山手の丘に女性専用の寄宿学校「フェリス・セミナリー」(後のフェリス女学院)を創立。給費制度を設け、学費の払えないカシもこの制度によって学業を続けて第一回生として高等科を卒業し、和文教師として母校の教壇に立つこととなった。

 教師となったカシは、女生徒たちが文学に親しめるようにと「時習会」という文学会を立ち上げた。これをきっかけに日本初の女性誌である『女学雑誌』に投稿が始まり、筆名を故郷の会津若松と神の僕の意味を持つ「若松しづ(賤)」とした。この『女学雑誌』の編集長であり、明治女学校の教頭、巌本善治と激しい文学論を戦わせながら、父を彷彿とさせる巌本をいつしか愛するようになり結婚した。

 英語が読めるカシが幼いころから親しんだ物語は英米文学だった。これらの優れた作品を日本人の女性、子ども、家族に楽しんでもらえるように紹介したい。その思いの中で偶然に出会ったのが『小公子』であった。

 この機会にと、若松賤子が翻訳した『小公子』(岩波文庫)を読んでみた。旧仮名遣いに少し苦戦したものの、慣れると口語体で書かれた闊達な文章に魅了された。主人公のセドリックの行動や、アメリカの庶民生活とイギリス貴族の家庭の違いなど、当時の読者は熱狂して読んだだろう。

 冒頭には少年少女文学へ向ける賤子の熱い思いが綴られている。一節を引く。

 ――私は深く幼子を愛し、其恩を思ふ者で、殊に共々に珍重す可き此客人を尚一層優待いたし度く、切に希望いたします。(中略)近年少年文学の類がポツ〱世に見える様になつて来ましたが、これも真心より感謝して居ります、それ故、只今訳して此小さき本の前編を出しますのも、一つには、自分が幼子を愛するの愛を記念し、聊か亦ホームの恩人に対する負債を償ふ端に致し度いのみです。

 この溢れるほど熱き思いを持つカシの短い一生を、梶よう子は見事に描き切った。新たな女性評伝の傑作である。在りし日のカシの姿を思い浮かべながら本書を楽しんでもらいたい。

初出「小説すばる」2022年9月号