 
                恥ずかしい時、悔しい時、モヤモヤする時……思わずネガティブな気持ちになったときこそ、読書で心をやすらげてみませんか? あの人・この人に聞いてみた、落ち込んだ時のためのブックガイド・エッセイです。
第31回:異文化の壁にぶち当たった時
案内人 マライ・メントラインさん
2024年06月14日
異文化受容、多文化共生を! と叫ばれて久しいが、むしろ世界は、というか世間・生活空間・ネット領域では、そういった意識高い系文化フレグランスへの反発に由来する、アンチ異文化ムーヴが激しさを増している。在日ドイツ人たる私も、実際、ふたつの文化の懸け橋という以上に両文化の板挟みに遭って双方を呪う展開が多い。おお、我は求め訴えたり!
そんな私が選ぶ「闇黒ぶりが活力となる!」異文化遭遇本、まずはフィリップ・K・ディックの『高い城の男』だ。ナチスドイツが世界制覇に王手をかけ、友邦たる日本に核攻撃を仕掛ける5分前の世界を描くという時点でもうすでにネガティブ極まりないが、本書のキモは「ナチス」の政治的狂気以上に、「ドイツ」の文化的狂気に踏み込んでしまった点だ。ヨーロッパの伝統哲学的な理性が人間のスペックを超えてなお人間を支配することで生じるヤバみ。
彼らの観点――それは宇宙的だ。ここにいる一人の人間や、あそこにいる一人の子供は目に入らない。(中略)抽象観念が現実であり、実在するものは彼らには見えない。“善”はあっても、善人たちとか、この善人とかはない。時空の観念もそうだ。彼らはここ、この現在を通して、その彼方にある巨大な黒い深淵、不変のものを見ている。それが生命にとっては破滅的なのだ。
……いやぁどーですか。ナチスの宿業とは何か、とかを真面目に考え抜いた末にこの言霊が目の前に出てくると、これまでに無かった負のパワーで魂が推進されるのを実感せずにいられない。ついついご飯をおかわりしてしまう!

そしてもうひとつの「異文化」闇黒奥義小説は、20世紀最強の文豪ともいわれるアルゼンチンの巨匠、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短篇「ブロディーの報告書」だ。中部アフリカのある部族の村を訪れた宣教師の手になるリポートという体裁の物語で、単なる野蛮さを超えて何かを突き抜けてしまった「文化」に直面すると意識の奥底の何が壊れるのか、ということを見事に謳いあげる逸品だ。無自覚な知的敗北感が心地よい。
いったん戦いが始まると、呪術師たちは王を洞窟の外にはこび、種族の者にその姿を示して士気を鼓舞する。そして旗幟か護符のように、肩にのせて戦場のまっただなかにかつぎ込む。この場合、おおむね王は猿人たちの投げる石に打たれてたちどころに死ぬ。
ちなみにこの「王」は絶対的な権威と権力を有するが、生まれつきの身体的特徴から即座に選出され、選出されると同時に目を潰されて去勢され、その後ずっと洞窟の奥で監禁され続けるのだ。権威権力とはそもそも何か。ここに一つの昇華しきった姿があるのではないか。

ということで、ディックやボルヘスが内面で直面し続けた異文化的深淵に比べれば、我々の主観が嘗め尽くす日々の地獄など、それこそものの数ではないわ! ……と言ってみたいなぁ(笑)。
プロフィール
- 
    マライ メントライン (まらい・めんとらいん) 1983年ドイツ北部の港町・キール生まれ。幼い頃より日本に興味を持ち、姫路飾西高校、早稲田大学に留学。ドイツ・ボン大学では日本学を学び、卒業後の2008年から日本に居住。2015年末からドイツ公共放送の東京支局プロデューサーを務めるほか、テレビ番組へのコメンテーター出演、著述、番組制作と幅広く活動しており「職業はドイツ人」を自称する。近著に池上彰さん、増田ユリヤさんとの共著『本音で対論! いまどきの「ドイツ」と「日本」』(PHP研究所)があり、アニメ『銀河英雄伝説 Die Neue These』のドイツ語(銀河帝国語)監修を務める。 
新着コンテンツ
- 
                  
  インタビュー・対談2025年10月30日 インタビュー・対談2025年10月30日 インタビュー・対談2025年10月30日赤神 諒×後藤勝徳(一般社団法人歴史新大陸 代表理事)「史実と創作が紡ぐ、もう一つの幕末物語」主人公のモデルとなった幕末の武士・瀧善三郎。彼の生涯をめぐり、善三郎の顕彰活動や舞台化に取り組む後藤さんと熱く語りあっていただきました。 
- 
                  
  インタビュー・対談2025年10月27日 インタビュー・対談2025年10月27日 インタビュー・対談2025年10月27日『夏鶯』刊行記念インタビュー 赤神諒「希望を失ってなお生きていくための「武士道」」武士とは何か? 武士道とは何か? 作家であり、環境法・行政法を専門とする法学者でもある赤神さんに『夏鶯』についてお話をうかがいました。 
- 
                  
  新刊案内2025年10月24日 新刊案内2025年10月24日 新刊案内2025年10月24日あなたについて知っていることエリック・シャクール 訳/加藤かおりあなたは僕を知らない。僕だって、あなたを知らない。喪失と欠落、そして家族の愛を描く珠玉の文芸作品。 
 
- 
                  
  お知らせ2025年10月24日 お知らせ2025年10月24日 お知らせ2025年10月24日弊社刊『青の純度』につきまして
- 
                  
  インタビュー・対談2025年10月24日 インタビュー・対談2025年10月24日 インタビュー・対談2025年10月24日大島真寿美「少女漫画編集部という宇宙、ジグザグした形の星をまるごと描きたかった」少女漫画誌について書こうと決めてから十年、どんな経緯でこの小説が生まれたかについて、じっくりとうかがいました。 
- 
                  
  インタビュー・対談2025年10月24日 インタビュー・対談2025年10月24日 インタビュー・対談2025年10月24日小池真理子「“永遠”を描く心理小説」運命の不条理に翻弄される三人の男女の心の動きに焦点を当てた、三年ぶりの長編『ウロボロスの環』にこめた思いを伺いました。 


