エッセイ

女友達という国境

宇野 碧

 ――友達って何だっけ。
 四〇代になって、誰かを「友達」と呼ぶのが年々、難しくなってきている。
 二〇代くらいまでは、シンプルだった。頻繁に/たまに会ってお茶したり飲みに行ったり、行きたいイベントに誘って一緒に行ったりする同年代もしくはプラスマイナス五歳くらいの存在をお互いに「友達」と呼んでいた。
 今は限界集落に住んでいることもあり、同年代女性と知り合って仲良くなる機会はあまりない。よく話したり、お茶に行ったりすることがある人でも、年が上下にかなり離れてると「友達」と呼ぶのにためらいがある。
「私は友達になったと思ってるけど向こうもそう認識しているのか?」とふと思うような相手も、これまた呼称に迷うので、「友達」とは相互にそう認識していないと使えない言葉、というのも私の定義の一つらしい。
 賞味期限的なものもある気がする。十年以上連絡を取り合っていないと、「友達自然解消」という認識になり、「友達だった子」みたいな言い方になる。
「Mちゃんは、いつも自分が一番じゃないとすねて『もう一生遊ばん!』って言ってくるから嫌」と六歳の娘が、保育園の友達の愚痴めいたことを言う。かと思えば、「Mちゃんとおそろいにするの!」とねだったキャラグッズを持って嬉々として登園したりする。女子同士はこんな小さな頃から、男子よりもいくらか複雑で、変異しやすい関係性を持つものだなと思う。
 そんな「女友達」というものを、「異国への旅」というテーマにからめて描いた短篇集『午前二時のチャンギ空港』が、この度刊行されることになった。
 最初の短篇「優しくない友達」は、私自身の一番リアルな思い出が入っている。手放しで「好き!」と言えるわけではない複雑な感情を抱いていて、自分が大人になるにつれ見方が変わっていき、もう会うこともない友達。また会いたい、というわけじゃないけど、どんな人生を歩んだのか知りたい。一言で「感謝してる」とは言えない。だけど、自分の人格形成に大きな影響を与えている。
「友情」と一言で括ることが難しい友達関係のあわいを、二十年くらいの年月をぎゅっと短篇に圧縮することで描いてみようとこころみた。
 年の離れた二人がバリ島へ旅する二篇目の短篇「通り雨」は、「結婚式と葬式が両方出てくる話を書きたい」という動機から生まれた。主人公がワーホリで訪れたカナダで、友人との格差があぶりだされる三篇目「地下室のモンスター」は、担当編集者さんからもらったあるエピソードにものすごく惹かれ、惹かれた理由を探りたくて書き始めた。二人の女の子が、三十年前のアニメ『ロミオの青い空』ゆかりの地を目指す、いわゆる聖地巡礼がテーマになった四篇目の「わたしとぶっちゃんと、黒い奇跡」は、YouTubeのコンテンツみたいな軽いものを書きたくて始めたら、思いがけない展開になった。表題にもなった最後の短篇「午前二時のチャンギ空港」は、タイトル先行で始まった作品だ。勝手に「短篇のタイトル出し一〇〇本ノック」をやって、「どのタイトルが読んでみたいですか?」と担当さんに投げたら一位に挙げてくれたので、そこから内容を考えた。
 国同士の関係は、友達関係に通じるところがある。書きながら浮かび上がった気づきから、「日本と韓国」というキーワードが、最初と最後の短篇を繫ぐ仕掛けになっている。
 日本人のパスポート保有率は年々下がり続け、今や一八%程度。「海外に行きたくない」と答える日本人の割合が過半数を超えているというデータもある。
 近年のそうした内向き志向は、自分という国から出たくない、という傾向にも繫がるような気がする。わざわざ国境を越えて他者と交わって揺さぶられるより、閉じた安全な世界にいたい。それも馴染みのある感情ではあるけれど。
 去年旅したバリ島で出会った、旅好きの日本人女性が言っていた。
「旅に出ると、良くも悪くも自分が見えるし、日本にいる時には考えられないようなハプニングが起こったりするからそれを求めてる」

「優しくない友達」を読んだ担当さんが、「色んな記憶が呼びさまされる作品」と言っていた。小説を読んで数年ぶりに、中学のクラスメイトだったK君のことを思い出したらしい。K君には苛められていた。だけど思い返してみると、彼が貸してくれたマンガがきっかけで編集者になったのかもしれない、と。
 傷つけられた相手からでも、人生を決定づける影響を受けることがある。誰かから大きな何かを受け取るということは案外、相手の人格や善意、自分との相性なんかとは関係のないところで起きたりする。
 一筋縄ではいかないから面白い。人間も人生も、旅も。本書が、読んだ人にとって、国境を越えるきっかけになればいいなと思っている。

「青春と読書」2026年10月号転載

書評

旅先で見えてくる友情と測られる距離

中江有里

 先日、インドへ出かけた。
 空港から出ると大勢の人が行き来し、知らない言葉が飛び交う。道路では絶え間ないクラクション、食事はスパイスと油たっぷり(ほぼカレー)、色鮮やかなサリーをまとう女性、埃っぽい空気と五感を刺激されっぱなし。疲れているはずなのに、うまく眠れない。旅の間ずっと興奮のるつぼにいた。
 安全かつ慣れたテリトリーを出るのが旅だ。世界と自分の当たり前にどれほどギャップがあるかを思い知らされる。
 旅の興奮と戸惑い、孤独と好奇心、旅先の人々の姿は、日常のそれと少し違うようだ。
 異国が舞台となる五つの短編が収められた本書には、話ごとに対になる女性二人が登場する。
「優しくない友達」は西オーストラリア。短期留学ツアーに参加した高校生の朋香は、同じクラスの山本さんと行動しているが、どうも話がかみ合わない。現地で知り合った同じツアーに参加している島津美佳(通称マズ)と一気に打ち解ける。何事にもはっきりと自分の意見を表明する彼女に惹かれる。ある瞬間、朋香は以前マズに会ったことがある、と気づく。
 自分にはない大胆さ、行動力を併せ持った相手に憧れることがある。そしてその人と一緒にいると、自分も同じようになった錯覚を起こす。帰国後もマズと行動を続けるのは、この錯覚のせいだ。
 同じ過去、同じ時間、同じ旅をしたとしても人はそれぞれに違う方を向いて過ごしている。その違いを悲しむことはない。片想いのような友情でも、自分の中では成就する。
「地下室のモンスター」はカナダ・トロントを舞台に語学学校で美優は知佳と知り合った。
 カナダ人と結婚したばかりで在住期間が三ヶ月ほど長い知佳は頼りになった。一方で美優はワークビザの申請が通らず、家主の都合でシェアハウスを追い出され、部屋が見つからずヤキモキしているが、結婚で永住権を得ている知佳はのんびりしたもの。
 同じ日本人であっても、異国で暮らすとなると大きな隔たりがある。
「道を歩いている人はみんな受け入れられている人たちなのに、私はどこからも拒否される」
 美優の中で黒い感情はどんどん膨らんでいく。本タイトルは美優が演劇のワークショップで書いたシナリオのタイトル。地下室でひっそりと飼われている怪物はお腹を空かせて、与えられた餌だけでは物足りなくなっていた。美優の中にも肥大化した怪物がいて、コントロールができなくなっている。
 誰かに憧れたり、羨んだりすることと嫉妬は紙一重なのかもしれない。このままならない感情を心の中で飼う。生きていくうえで必要なスキルだ。
 表題作「午前二時のチャンギ空港」は以前トランジットで滞在したことがあるシンガポールのハブ空港が舞台。両親のスペイン旅行に同行した凪。父が着陸してすぐ機内で倒れて、チャンギ空港内のクリニックに運ばれた。
 父の容態次第ではこのまま帰国するかもしれない。実は凪には乗継ぎ便に乗るまでの間にチャンギ空港で果たしたい目的があった。
 凪の作った陶器に感銘を受けた、という韓国人のジュエルとメールをやり取りするようになる。本音で語り合う二人の間に友情が生まれるが、日本と韓国の関係性にまつわる誤解から途切れてしまった。
 あれから五年の月日が経ち、ふと凪がチャンギ空港でトランジットするという旨のメールを送ると、ジュエルから謎のメッセージが届く。はたしてジュエルのメッセージの謎を凪は解けるのか?
 旅先は非日常の空間。少々大胆にもなるし、逆に臆病にもなる。通常の自分という殻が取っ払われ、柔らかな中身がさらされている状態だ。ゆえに傷つきやすいし、過剰に自己防衛もする。さみしさに敏感になり、人の優しさが沁みやすい。
 対になる女性たちは、旅の最中に長年のわだかまりが解けることもあれば、平行線のままに見えることもある。決して仲が悪くなったわけではなく、互いにちょうどいい距離感が取れた、ひとつのハッピーエンドの形だ。
 旅の目的として観光地を巡る、グルメや買い物をする、美術品を鑑賞するのもいいけど、まず誰と連れ立つかが大切だ。
 通常とは違う、さらけ出した状態の相手が見えるし、自分も見られている。思わぬトラブルが起きれば、相手に頼りたくもなる。
 そんなカオスを越えていけたら、きっとその友情は一生ものになるはずだ。年を重ねて、かつての旅の記憶を振り返る相手がいてくれたらどんなにいいだろう。
 これから旅をするなら誰としようか。そんな妄想をしながら、本書を閉じた。

「小説すばる」2026年10月号転載