対談

ピンク地底人3号×本谷有希子

ピンク地底人3号×本谷有希子「二十年間演劇で培ってきた「身体を描き込む技術」を注ぎ込みました」

書評

リアルへの異常な愛情

松田 樹

『ラブ&ポップ』という小説がある。女子高生が援助交際の流行に乗って何となく体を売り、ファストフードやブランド品で自らの空虚を埋め合わせる話。ある日、主人公は淡いピンクに輝くトパーズを見て、初めて内から湧き起こる強烈な欲望を自覚する。「裕美は、その指輪を絶対に欲しいと思った」。書き手の村上龍によれば、トパーズの指輪とは何でも手に入る代わりに希望だけがないこの国における「他者との出会い」への餓え、バブル崩壊後の閉鎖的な消費社会に生きる若者の脱出願望を象徴する。
『おもちゃの指輪がほしいねん』は、令和版の『ラブ&ポップ』である。「うちはどうしようもなくおもちゃの指輪がほしいと思いました」。学生時代に村上龍を読み耽ったというピンク地底人3号は、この小説の中で「どうしようもなく」「ほしい」という私たちの身体を貫く強烈な欲望を主題化する。それはいくらチャチな対象に向けられたものであるとしても、九〇年代よりもさらに貧しく、より閉塞したこの社会からの脱出を求めるメッセージである。
 本作の主人公アカリは失恋を機に万引きGメンとして働き始める。京都郊外イオンの二階の大型書店、スーパー、ショッピングモールに現れる万引き犯を見つけ、捕捉率を上げてゆく。若手保安員の有望株と目されていたところ、カオルさんという女性がおもちゃの指輪を颯爽と盗む姿を目撃する。彼女に魅せられ、いつしか自分もおもちゃの指輪を嵌め、フラフラと店外に滑り出てしまう。地の文は「うち」ことアカリがこうした経緯を報告するカオルさんへの手紙として構成されている。全体を通してカオルさんの存在は不確かで、むしろ手紙を書き綴ることだけが彼女への愛を確かめる手段のようだ。「尾行して、尾行されて、声掛けをして、声掛けをされて、うちらは万引き/捕捉というドラマを丁寧に作り上げていくのです」。そもそもGメンの仕事が失恋の埋め合わせから始まっていたように、アカリはカオルさんという憧れの犯罪者像を作り上げ、その関係性に閉塞感からの出口を夢見るのである。
 野間文芸新人賞を受賞したデビュー作『カンザキさん』もまた、数十年前に出会ったパワハラ先輩カンザキさんとの密接な二者関係を描いていた。京都宇治市近辺の小さな配送会社に勤めるカンザキさんは新入社員のひ弱な「僕」を徹底してイジメ抜き、トラックの車内はあたかも地獄のよう。が、同期入社のモリちゃんは、カンザキさんからのイジメを必要な試練と受け入れている。その信仰心に「僕」は、どこか羨ましさを感じてしまう。「僕はこの愛の形を知っていた。そう、主の愛と同じなのである」。作家が刊行記念インタビューで聖書を下敷きにしていると語る通り、作中には宗教的なモチーフがちりばめられている。二作目同様、過酷な労働の孤立状態の中で、語られる対象にはあたかも信仰のような盲目的な愛が向けられてゆく。
 もちろん、カオルさんの優雅さも、カンザキさんの崇高さも、全てがチャチで噓くさい。その犯行が食玩コーナーでおもちゃの指輪を万引きするものでしかないように。しかし、そんな安っぽく噓くさいものに現実感を与えるためにこそ、「うち」や「僕」は必死に語り続ける。「カオルさん、なんか書いてたらだんだんまた腹が立ってきました。言葉ってやっぱり不思議です。怒りの言葉を書けば書くほど本当に怒りが湧いてくる」、「お母ちゃんには悪いけど、お母ちゃんが亡くなったといえば、本当に亡くなった気がして、今度は別の涙腺から別の涙が溢れてきます」(傍点引用者)。
 言葉こそがリアルを作り出す。「あなたへの本当の気持ちが宿る気がしたけど、やっぱりそうはいかへんみたい」、「やっぱりタカエさんはうちとは違う、本物の保安員でした」。アカリがこうして「本当」や「本物」に異常な執着を見せるのは、周囲が徹底してフェイクだからである。あたかも無個性な郊外を己の声で彩り直すラッパーのように、言葉の殴打によって偽物に塗れた世界をリアルに転換する試み。劇作家であるピンク地底人3号が新たに小説という媒体で実践しているのは、これである。
 そのことは本作の白眉と言える、万引きされた商品を羅列する最終場面にも関わっている。「PILOTのボールペン、Nature Madeの亜鉛ボトル、キユーピーの胡麻ドレッシング、折り畳み傘、ガムテープ、無印良品の化粧水、コクヨのノート、単三電池、英和辞典、国語辞典、『スイミー』、ミズノのスニーカー、爪切り、ハサミ、ヤシノミの洗濯洗剤、Schickの薬用シェーブガード、(中略)ありとあらゆる商品が、万引き犯たちの胸に開いた穴へ、うちの胸に開いた穴へと吸い込まれていく……」。盗まれるのは飽き飽きするほどどこにでもあり何でもない商品だ。『ラブ&ポップ』以上に既視感のあるモノばかりである。が、それによってかりそめに埋めるしかない空虚感に、私たちの切実なリアルがある。最終的に、「うち」は山奥のケバケバしく噓っぽいラブホテルにカオルさんとドライブする姿を思い描く。『カンザキさん』でも閉鎖的な二者関係を象徴するかのようにトラックの車内が印象的な舞台として用いられていたが、全てがフェイクな出口なしの郊外ではこんな瞬間にしか閉塞感からの脱出を夢見ることができない。
 ――ちなみに私も、宇治の隣城陽市生まれ、京阪沿線の枚方市育ちだ。『カンザキさん』にも、『おもちゃの指輪がほしいねん』にも、これらの地名は登場する。「どこのブランドかもわからない二本の白いラインが入った黒いジャージ」「Honeysをはじめとするファストファッション」「ワゴンR」、こんなモノの羅列に「うち」や「僕」、宇治に拠点を置いて執筆活動を行うピンク地底人3号自身の切実な空虚感を読んだ。彼ら彼女らにとってはとにかく異常な熱情で沈黙を埋め、妄想で周囲を彩らなければ、日々が砂を嚙むようになんともつまらなく、やりきれない。この文章もまた、日本全国どこにでもいる現実感が希薄で、言葉にしかリアリティを持てないあなたのために。

「すばる」2026年9月号転載