[メディア論] 100年後の「本」 佐々木俊尚 紙の書籍を模倣するだけの電子書籍は、まだ新しいメディアとは言えない。
メディアとしての書物を原理的に問い直し、
新たな「本」の未来像を提起する本格評論。

佐々木俊尚2014.3.28

第9回文字と記憶術

 哲学者プラトンの本『パイドロス』に、こんな話が出てくる。エジプトの古い神テウトは、算術や幾何学、天文学、将棋、双六、そして文字を発明した。あるときテウトは、エジプト全土に君臨していた王様の神タモスのところに行き、自分の持つさまざまな技術を披露した。テウトは文字についてもタモスに説明する(『パイドロス』藤沢令夫訳、岩波書店版より)。

 王様、この文字というものを学べば、エジプト人たちの知恵はたかまり、もの覚えはよくなるでしょう。私の発見したのは、記憶と知恵の秘訣なのですから。


 ところがタモスは、このことばを咎めた。

 たぐいなき技術の主テウトよ、技術上の事柄を生み出す力をもった人と、生み出された技術がそれを使う人々にどのような害をあたえ、どのような益をもたらすかを判別する力をもった人とは、別の者なのだ。いまもあなたは、文字の生みの親として、愛情にほだされ、文字が実際にもっている効能と正反対のことを言われた。なぜなら、人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人たちの魂の中には、忘れっぽい性質が植えつけられることだろうから。それはほかでもない、彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである。


 そうしてタモスは文字の発明というのは「記憶の秘訣」ではなく、「想起の秘訣」であると指摘する。つまり記憶そのものではなくて、単に記憶を呼び起こすための手助けになるものでしかないと言っているのだ。そして文字を学んでも、見かけだけ博識になるだけで、うぬぼれだけが肥大するだろうと警告した。

 この話を紹介したソクラテスは、対話の相手のパイドロスに「ものを書くというのは、絵画の場合とよく似ている」と話す。現代ならこれに写真や映画を加えてもいいかもしれない。絵画や映画が再現しているものは本物そっくりで生きているように見えるけれども、話しかけても返事が返ってこない。コミュニケーションは片方向で、絵画や映画が最初から持っているイメージしか映し出してくれない。
 そしてソクラテスは、本当のことばのありかたについてこう語る。

 それはほかでもない、ひとがふさわしい魂を相手に得て、ディアレクティケー(佐々木注:対話、あるいは対話によって弁証法的に昇華すること)の技術を用いながら、その魂の中に言葉を知識とともにまいて植えつけるときのことだ。その言葉というのは、自分自身のみならず、これを植えつけた人をもたすけるだけの力をもった言葉であり、また、実を結ばぬままに枯れてしまうことなく、一つの種子を含んでいて、その種子からは、また新なる言葉が新なる心の中に生れ、かくてつねにそのいのちを不滅のままに保つことができるのだ。そして、このような言葉を身につけている人は、人間の身に可能なかぎりの最大の幸福を、この言葉の力によってかちうるのである。


 ソクラテスが語っていることは、現代の私たちの書籍や文字に対する考え方とは大きく異なっている。私たちは文字で書かれ書籍に印刷された文書こそが知恵の泉だと信じ、そういう文書を吸収する方法を学ぶ。本の中に世界観が宿っているととらえ、その世界観を学ぶべく、本を手に取るのだ。
 しかしソクラテスは、そう考えてはいない。本当の知は人間の頭の中にあって、本はその写し絵にすぎない。本を読んでも、その著者の世界観を得ることにはならない。著者の世界観をわが物にするためには、著者との対話がどうしても必要であり、対話によって著者と読者である自分のあいだに知のぶつかりあいが生じ、そのぶつかりあいが昇華してあらたな知の高みへとつながっていく。つまり知を得るためには、読書のような片方向のコミュニケーションではなく、たがいの知がぶつかりあう双方向のコミュニケーションが必要だとソクラテスは考えていたのである。

 本は副次的なもので、そのぶつかり合いを効果的に行うため、頭の中の知を引き出すための「引き金」にすぎないということなのだ。
 しかしぶ厚い一冊の本にふくまれる知識は、膨大だ。それにくらべたら、人間が記憶できる容量なんてたかが知れている。たとえばレイ・ブラッドベリの有名なSF『華氏451度』は、本がすべて焚書される暗い未来を描き、その世界では人々は思考力を失って毎日ぼんやりとお仕着せのテレビを観るだけになっている。そして世界に抗う一団の人たちがいて、彼らはひとりひとりが『ガリバー旅行記』や『種の起源』、『マタイ伝』などを暗記して一冊の書物として生き延び、本の英知を後世に伝えようとしている。ひとりで一冊の本を覚えるなんて、想像しただけでもたいへんそうだ。
 だから人類は、頭の中に蓄えられた知を本というかたちに保存し、覚えなくてもつねに参照できるアーカイブとして活用できるようにしたのである。
 しかしそういう考え方は、実は近代になってからのことだったらしい。これは古代ギリシャのソクラテスだけでなく、中世ヨーロッパでもそうだった。人間の頭の中にある記憶のほうが、書物の知よりも上位のものとして位置づけられていたのだ。
 メアリー・カラザースの『記憶術と書物』(別宮貞徳監訳、工作舎)は、中世ヨーロッパの「建築的記憶術」を紹介している。当時の知識人たちは、文章を直線的に丸暗記するのではなく、ミツバチの巣箱のような構造に記憶をひとつひとつ収納し、いつでも取り出せるようにして記憶を縦横に扱っていた。収められている記憶は文章の一字一句ではなく、引用の中の主要な言葉や議論の主要なテーマ、話の要点といった、本の本質といえるものだ。
 これが具体的にどのようなやり方だったのかは簡潔には説明しづらいが、『記憶術と書物』では旧ソ連の神経心理学者、A・R・ルーリアが、シェレシェフスキーという記憶術のプロを検査した話を紹介し、「これは古代の建築的記憶術と、ほとんどそっくりだった」としている。これはたいへんわかりやすく、語呂合わせやイメージの喚起によって記憶する方法だ。たとえばルーリアが提示した「Nel mezzo del cammin di nostra vita(われらが人生行路の中ほどで)」から始まる、ダンテ『地獄篇』の冒頭の四行をシェレシェフスキーはどう記憶したか。次のようにイメージの連なりをつくっていったのだという(『記憶術と書物』より)。

 「私が会員料金を払っていると、廊下でバレリーナのネルスカヤ(Nel'skaya)の姿を見かけました」
「私自身はヴァイオリニストです。そこで、ヴァイオリン(ロシア語でvmeste)を弾いている男のイメージを、ネルスカヤの隣に思い浮かべます」
「ふたりの近くには、タバコのデリ(Deli Cigarettes)が置いてあります」
「ふたりのそばに、暖炉(kamin)のイメージを作ります」
「次に、ドア(dver)を指している手が見えます」
「鼻(nos)が見えます。男の人がつまずき、倒れるときに鼻を戸口(tra)にぶつけてしまいます」
 「男は足を高く上げて敷居をまたぎます。子どもが寝そべっているから。子どもは命の象徴──ヴィタリズムです」


 これをひとつのショートフィルムのように頭の中にパッケージされたイメージとして結実させ、それを丸ごと記憶しておく。その丸ごとのイメージを思い出せば、そこからひとつひとつの単語が芋づる式に引き出されるということだ。

 なぜこのような記憶術が中世ヨーロッパで使われていたのかといえば、それは本を読むという行為がきわめて希少だったからに他ならない。そのころの本は羊皮紙に一枚一枚手書きで書き写された写本で、重くて大きかった。修道院などの図書室の壁に鎖でつながれ、本を読むためには修道院長の許可をあらかじめいただいたうえで、修道院にまで足を運ばなければならなかった。ウンベルト・エーコの小説『薔薇の名前』に描かれているように、知識人は本を読むためだけに長い徒歩の旅を続け、ヨーロッパ全土を移動したのである。
 一冊の本を読むという行為は貴重だった。今のように複写したり撮影することもできないから、読んだ本の内容は頭で覚えるしかない。そこで記憶術が発達したということなのだ。この当時は、書き写しを間違ってしまうようなぼんやりした写本生よりも、訓練を受けた聖職者の記憶による伝達の方がずっと信頼が置けると考えられていたのである。
 この記憶を助けるために、「詞華集」と呼ばれる本も作られた。これは過去の偉大な著述家の文章や格言を抜粋し、寄せ集めたもので、今のことばでいえばアンソロジーだ。しかし現在のアンソロジーが単なる短編小説集のような「短い作品をたくさん収容したもの」という定義で語られているのに対して、中世の詞華集は、もとの本の内容を思い出すため、その本の一部を抜粋して「想起の引き金」とするためのものだった。つまり詞華集だけで「読む」という行為が完結しているのではなく、詞華集をきっかけに原典の内容を思い出すということである。たとえば教師が教壇に立って、生徒に向かってさまざまに語る。その時に詞華集を手もとに開いていれば、そこから「ああ、あの本もあったな」「この本にはこう書かれていたな」と思い出すことができ、論述をなめらかに展開することができる。
 最近のインターネット用語でいえば、Pocketやはてなブックマークのような「あとで読む」サービスか、そうでなければ短文を投稿して人々が次々再ポストしていくTumblrのようなものだ。Pocketにしろはてなブックマークにしろ、そのサービス単体でコンテンツを読むのではなく、自分が気になったブログやニュースなどのコンテンツのブックマークを貯蔵しておき、後から思い出して読みなおしたり、思考を整理するための補助とすることができる。詞華集はそれと同じような役割を果たしていたということだ。
『記憶術と書物』はこう書いている。

 論争が成果をあげるためには、何よりもその主張が広く世間に流布することが必要だが、ミートケ教授によれば、一四世紀になってさえ、学者はそうした主張を写本ではなく、論争の対象となる著作についての自分の記憶や、場合によってはテクストに関する風説などに基づいて書きあげたという。新しい著作や論文、討論などの写本を入手することは、それらが生まれた時代に生き、生まれた場所の近くにいた者にとってさえ、むずかしかった。


 しかしこれが、今のように本が自由に手に入る状況と比べ、不完全で欠陥のあるシステムだったかというと、実はそうではない。
 現代では、正確な伝達手段は文字や映像、音声など、外部の記憶装置に記録されたものに限られている。紙やフィルム、ハードディスクなどの記録媒体へのコピーだけが正確さを担保するものであると考えられている。それにくらべれば人間の記憶などというものはあやふやで間違いだらけであると思われている。

 たしかに一字一句を誤りなく再現するという点においては、中世の精密な建築的記憶術でさえも外部の記憶装置にはとうてい勝てないだろう。ハードディスクやフラッシュメディアであれば、無数の書籍の内容をすべて誤りなくコピーできてしまうのだから。しかし中世の知識人が重視したのは、実はこのような正確な記録ではなかった。彼らにとって価値がある記憶とは、客観的な正確さではなく、むしろ完成度の高さや内容の豊かさだった。つまり原典を一字一句覚えておくことではなく、その原典からどのように知識を引き出し、自分のものとするかということの方が重視されたのだ。
 たとえばこれは、ポピュラー音楽におけるコピーのようなものだと捉えればわかりやすい。若いギタリストが、昔の偉大なブルースギタリストの演奏をコピーする。しかし彼は、その偉大なギタリストの演奏をそのまま再現したいと思っているわけではない。素晴らしい演奏のエッセンスを学び、自分の血肉とするために、コピーする。だからそのコピーは完全な模倣ではなく、若いギタリストが自分なりの技術やスピリットをさしはさんで、いまの時代状況やいまの自分のムードに適合した形で改変し、偉大な演奏からすこしずつ位相をずらしていく。
 ポピュラー音楽はこのようなやり方でコピーをくり返し、アフリカンリズムからジャズやブルース、そしてロックやポップスへと進化してきた。いまでも19世紀のアフリカンリズムを希求するミュージシャン、20世紀半ばに生まれたモダンジャズを演奏するミュージシャンはたくさんいるが、かつての音楽をそのまま再現しているわけではない。つねに同時代に適合させ、いまの時代の空気にかけ合わせるようにして演奏も楽曲も再構築されていく。
『記憶術と書物』では、中世の読書は「本で読んだこと」と「自分の体験」を根本的には区別しなかったという驚くべき事実が指摘されている。現代の私たちも、小説の主人公に自分をなぞらえたりする。恋愛小説を読んで、登場人物の喜びや悲嘆を自分の過去の恋愛経験とくらべたり、いままさに起きている恋愛と同時進行的にとらえるというのは、珍しいことではない。しかし中世のヨーロッパにおいては、それは単に「なぞらえる」というだけでなく、自分自身の体験と小説の中の話を「同化」させてしまうようなことが行われていた。
 現代ではそこまでやってしまうと、「この人、ちょっと小説を読みすぎて感化されてるのでは。ちょっと変じゃない?」と呆れられてしまうだろう。しかし中世ではそれは一般的な本の読み方だった。

 12世紀のフランスで活躍した神学者ピエール・アベラールとエロイーズのロマンスの物語が、『記憶術と書物』で紹介されている。アベラールは、容姿端麗で高い知性を持つエロイーズと熱烈な恋に落ち、エロイーズは妊娠、出産する。20歳も年上の学者とのスキャンダラスな恋にエロイーズの親族は怒り、アベラールは襲撃されて局部を切断される。この事件をきっかけにしてアベラールもエロイーズも別々の修道院に移り、出家してその後の人生を送ったのだった。
 出家の際、エロイーズは涙にむせびながら、古代ローマの詩人マルクス・アンナエウス・ルカーヌスの詩『ファルサリア』の一節を読み上げる。

 私ごときが嫁ぐにはもったいない偉大なあなた。
 運命は高貴なあなたにどうしてこうもつれないのでしょう。
 私はわざわいをもたらすために嫁いだよう。
 どうかお受け下さい。私は喜んで償いを果たします。

 (エロイーズは)そういいながら祭壇に走り寄ると、すばやく司教の祝福を受けたベールを取り上げ、公然と宗教生活に身を投じたのだった。

(『記憶術と書物』より)


 この詩文は、『ファルサリア』の中でポンペイウスが戦いで惨敗して帰ってきた時、迎えた妻コルネリアが神々の怒りをなだめるために我が身を犠牲にして死のうと申し出たくだりだという。つまりエロイーズは、アベラールが恥辱を避けられるように自分を犠牲にして修道院に身を投じたことを、気高いコルネリアと一体化させているのだ。

 小説の一場面は、どこか遠くにあるファンタジーの世界や、自分の届かないセレブな生活として見るのではなく、つねにいまそこにある自分の体験として記憶されていく。自分を小説の主人公になぞらえるのではなく、小説の主人公が語った言葉が、自分自身の体験に変化していく。つまりは「自分の体験」と「本の中で描かれていること」が一体化して昇華し、新たな経験として再び読者にフィードバックしていくような構造がここでは作られているのだ。
 これは端的に言えば、本との会話である。本から片方向的に情報を得るのではなく、本との双方向の対話によって、本の持つ記憶と、読者の持つ記憶が交流するのだ。本と人の間の相互作用なのだ。
 本を読むという行為は、別の知性との出会いにほかならない。だから書物をありのままに理解するのではなく、昔からの知恵の泉を利用するように、自分の人生に本を利用していく。
 読書には二種類のアプローチがあったということを、『記憶術と書物』は説明している。それは「勉学」と「瞑想」だ。原典についてできるだけのことを学び、その中のことばの意味を一つ残らず理解できるようにするのが、勉学。いっぽうで読書の成果を記憶の奥深くに秘め、実践によってそれに馴染み、飼い慣らして、自分自身のものにしてしまうのが瞑想だという。瞑想によって他人の著作を自分のことばにしてしまい、改変も厭わない。原典を学び、記憶の中で追体験してそれを消化し、解釈するだけでなく、新たなふたりめの著者になってしまうような読み方が中世の知識人のあいだでは一般的に行われていたのだ。
 中世ヨーロッパにおいては、個人のキャラクターというのは孤立し屹立したものではなく、文学や哲学書などに描かれたさまざまな人格の上に層が積み重なるように成り立ち、それら集合的無意識の集大成として成立していた。自分と過去の人類の膨大な歴史は切り離されるのではなく、膨大な人類のいとなみの混淆の結果としてキャラクターが生まれると認識されていたのだ。
 だから過去に作られた本物は、「過去に作られた本」として分析されるのではなく、「つねに目の前にある知」として捉えられていた。過去の遺物ではなく、つねに読者である自分との相互作用によって活性化される存在なのだ。中世の絵画を見ると、原始キリスト教の時代の聖者たちが、中世の衣装を身にまとっていたりする。これは現代から見れば奇妙だが、しかし中世においてはイエスやパウロは過去の偉人ではなく、「いま目の前にいて自分に知を授けてくれ、自分とともに語らってくれる人」と考えられていたから、自分と同時代の衣装を着ているのは不自然でも何でもなかったということなのである。
 いまのように本を過去の遺物として扱い、つねに古くなっていくものとして捉えるのと、どちらが素晴らしい読書だろうか。過去の著作のテクストが、たえず現代の精神の中で再編され、取り込まれていくというこの読書スタイルは、しかしひょっとしたら今後のウェブ化の流れの中で、再度復興してくる可能性を秘めているとも思える。

プロフィール

佐々木俊尚(ささき・としなお)

略歴
1961年、兵庫県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。
毎日新聞社、アスキーを経て、2003年よりフリージャーナリストに。
現在、総務省情報通信白書編集委員、総務省情報通信審議会新事業創出戦略委員会委員。
主な著書に、『2011年新聞・テレビ消滅』(文春新書、2009年)、『仕事するのにオフィスはいらない ノマドワーキングのすすめ』(光文社新書、2009年)、『マスコミは、もはや政治を語れない』(講談社、2010年)、『電子書籍の衝撃』(ディスカヴァートェウンティワン、2010年)、『キュレーションの時代』(ちくま新書、2011年)、『「当事者」の時代』(光文社新書、2012年)など。

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