ゲームのシナリオライターを経て小説家となり、人々の心にそっと寄り添うような優しい物語を描き続けている名取佐和子さん。
最新作は、小さなマンションを舞台に、管理員をつとめる青年が住人との交流を通じて小さな一歩を重ねていく物語です。
作品に込めた思いをうかがいました。

構成/立花もも 撮影/藤澤由加

現代の長屋群像劇

――マンションに出る女の幽霊をなんとかしてほしい。そんな依頼を受けて、住宅管理会社でアルバイトをする二十二歳の椚くぬぎ央おう次じ郎ろうが〈ふくろうハイム〉を訪ねるところから始まる本作。わずか六戸の小さなマンションに潜んださまざまな家庭の事情を、管理員の立場を通して垣間見る、現代の長屋群像劇といえる作品です。

名取 前作『銀河の図書室』(実業之日本社)が高校の部活を舞台にした青春小説だったので、大人が出てくるものを書きたいなと思ったんです。最初は、年配のご婦人と社会人になりたてくらいの若い男の子の交流譚とかどうかなあ、と思いついた程度だったのですが、血の繫がりがない限り、その二人が出会う機会はなかなかないですよね。でも、マンションの管理員と住人なら自然と交流できるかもしれない、キャラクターも動き出してくれるかもしれないと考えました。年齢差もあるので、業務上、いたしかたなく関わらなきゃいけなくなってくる、という関係のほうが自然である気がしましたし。

――マンションの管理員という仕事には、前々から興味があったのでしょうか。

名取 いつか書いてみたいアイデアとしてあたためていました。以前暮らしていた分譲マンションには、週五日、管理員の方が通いで来てくださっていて。家で仕事をしている私は特に顔をあわせることが多く、掃除をしたり業者とやりとりしたり、私たちの生活を支えてくださっている姿も見ていたんです。ただ、調べてみると管理員業というのは定年後、第二の雇用先となることが多いようで、たいていは年配の方。就業時間も八時から十五時くらいで、会社勤めとはちょっと違うその場所で、若い男の子が働いていたらおもしろいんじゃないかと思い、生まれたのが主人公の央次郎です。最初は世慣れた軽い調子の男の子をイメージしていて、そのほうが住人である老婦人との会話もぽんぽん弾みそうだと考えていたんですけど、コミュ力があって物もの怖おじしない男の子が、人との関わりが少なそうな管理員業を選ぶだろうか、と疑問が湧いたんですよね。

――それで、吃音に悩んでいる青年に。

名取 人によって症状は異なるそうですが、誰かと会話するときに、なめらかに言葉が出てこないことで、つらい思いをすることもあるのではないか。人によっては、できるだけ他人と接することのない職業を選ぼうとするのではないかと思ったんです。緊張して言葉につまってしまうイメージを持つ方が多いですが、実際は、そもそも言葉が出てこなかったり、緊張しているわけじゃなくても上手に話せないこともある。むしろ気を抜いた瞬間に言葉が出なくなることも少なくないと、監修をお願いした医学博士の菊池良和先生に教えていただきました。あとは、苦手な発音の言葉を言わなくてはいけないときは、その場で瞬時に言い換えるなど、考えながらお話しされている。それゆえに、言いたいことをまっすぐ伝えられず葛藤を抱える人も多いのではないかと思い、主人公の性格がかたまっていきました。

――カ行が苦手な央次郎が「合羽」をとっさに「レインウェア」と言い換えるシーンがありました。

名取 そうした実際の症例をお借りしつつ、「吃音とはこういうものである」という型にはめた描き方はしないように気をつけていました。

名取佐和子

他人と違っても堂々と胸を張る

――だからこそ、大学をやめて誰とも関わらずマイペースに働ける仕事を探していた央次郎にとって、管理員業は理想的だったはずなのに、ふくろうハイムに住む上うえ田だ千ち依よりという、コミュ力最強の老婦人に出会ったことで、日々が賑やかに変わり始めます。

名取 最初は、作中にも書いたように、『スプーンおばさん』みたいなかわいらしいおばあちゃんをイメージしていたんです。言動も乙女チックで愛らしくなるよう心掛けながら、央次郎を引っ張っていく相棒として描いていたんですけど……。

――ただものじゃない雰囲気は、冒頭から漂っていますよね。やたらと行動力があるし、何を聞いても「カルチャースクールで習った」と豊富な知識を披露する。

名取 千依さん世代の女性は専業主婦も多く、家庭のことを任されていたから、自分一人で自由に旅行したり食べ歩いたりする機会が少なかったんじゃないかなと思ったんです。ご近所で親しくする人がいても、なかなか、本当に誰かと共有したいことは話せなかったりしますよね。カルチャースクールに通うことが、唯一の息抜きであり、自分だけの居場所だというような人もいたんじゃないかと思いました。習うトピックだけで盛り上がって、よけいなことをしゃべらなくてすむ場をもつのは、大人にこそ重要なんじゃないかと。そんなことを考えながら書いていくうち、気づけば千依さんの背景がどんどん膨らんで、ただのかわいらしいおばあちゃんではなくなっていきました。

――知り合った住人たちの家庭の事情を放っておかず、押しつけがましくならないギリギリのラインで手を差し伸べる千依さんに央次郎はふりまわされていくわけですが……彼にとっても重要だったのが、第二章に登場する301号室の住人、瀧たき友ゆう将しょうと占うら部べ柑かんという男性同士のカップルです。

名取 第一章では、央次郎はまだ自分が吃音であることを隠しているんですよね。言葉がつっかえると、不自然でも言い換えることでどうにかごまかし、いつ吃音を指摘されるかとびくびくしている。他人に変だと思われないよう、自分を隠すことに必死だった彼だからこそ、自分たちは同性カップルであるとあっさり公言する友将たちに衝撃を受けたんだと思うんです。でもだからこそ彼は、友将の「吃音か?」という言葉に初めて素直にうなずくことができた。他人と違うところがあっても堂々と生きている人の姿はきっと、央次郎にとっての救いになるんじゃないかと書きながら思ったんです。

――友将だって人の目を気にしていないわけじゃない、きっと心無いことを言われたこともあるだろうけど、自分たちはこれがふつうなんだと、特別感なく描かれているところがいいなと思いました。

名取 異性のカップルや夫婦が暮らすのと同じように、あたりまえに同性カップルも住んでいるはずだけど、あたりまえのこととして描きすぎるのも、現実から目を背けることになってしまう。その塩梅も気をつけながら描きました。

――〈自分を特別視して縛り付けてるの、案外自分自身だったりするぞ〉という友将のセリフは、彼が同性愛者だからこそ重みをもつものでもあるし、一方で、どんな人にも心当たりのある、刺さる言葉だなと思いました。

名取 ありがとうございます。友将と話したことで央次郎は「自分の状態を堂々と言える自分でありたい」と思えるようになったんじゃないかと思います。吃音であることを知っても誰も引いたりしない、ただ、そうなんだと受け止めてくれる人たちがいるんだということも、少しずつ感じ始めていたんじゃないかなと。

――それが、人が胸を張って生きていくためにはいちばん大事なことですよね。だけど央次郎の場合、いちばん味方であってほしい両親……とくに母親は、央次郎の吃音が出るたび戸惑った表情を浮かべる。ふくろうハイムに居場所を見つけるにつれて、母親との関係に対比が生まれて、切なかったです。

名取 最初は実は、あんまり親子関係については考えていなかったんです。でも、子どもが突然大学をやめて何も思わない親はいないだろうし、フルタイムとはいえアルバイトの彼はおそらく実家で暮らしているのだから、毎日、顔をあわせなくちゃいけない。そもそも央次郎が吃音であることをこれほど抱え込むのは、親とのあいだに何かがあるんじゃないか、と考えるうちに、自然と関係がかたまっていきました。腫物のように扱ったり、央次郎のためを思って空回りしてしまったりした部分もきっとあるのではないかなと、両親側の想いもちゃんと描きたくなったんです。

大人になるとはどういうことか

――第一章に登場する302号室の双子の姉妹、藤ふじ江え桜さくら子こと桂かつら子こは母親の死後、自分たちの実の父親を探し始めます。その中で桜子が〈せめてわたしたちだけでもお母さんの人生を肯定しようよ。お母さんを頼りすぎたり憎んだりせず、自由にしてあげよう。だってわたしたち、大人だもん〉と言うシーンがあります。それは、父親が誰か知らされることのなかった姉妹のわだかまりを溶かすセリフでもありますが、そんなふうに家族と向き合い、大人であろうとする人たちを通じて、央次郎が成長していく物語でもありますね。

名取 当初は意識していなかったのですが、私自身、自分はちゃんと大人になれているのだろうかと、この歳としになってもざわざわした気持ちを抱えていることが滲にじみ出てしまったんだろうと思います。とくにSNSを見ていると、自分の意見を揺るぎなく主張できる人が目立つし、誰になんと言われようと確固たる姿勢で立ち続けられる人が強いように思える。けれど、何かを断定したその裏で零こぼれ落ちる人の気持ちはきっとあるし、自分とは異なる価値観や事情で生きている人もいるはずなのにな、と思うと、私はどうしてもどっちつかずになってしまうんです。「どっちつかず」が間違っているとは思わないけれど、迷える中学生だったころから成長できていないような気もしてしまって。でも、亡くなるまで母親と二人暮らしをしていた桜子に、断定的な物言いで「しっかりしなさいよ」と発破をかける桂子にだって、案外、子どもみたいな部分はある。強い態度で自分を守ろうとしているだけだったりもするんだよなと、書きながら思いました。きっと大人になるということは、いつでも揺るぎなく胸を張り続けることではなく、迷い、葛藤しながらも自分で結論を出し、その結論を信じられる人なんじゃないかなと思います。たとえその結論が間違っていたとあとから反省したとしても、そのときの自分を肯定してあげられる強さをもつ。間違っても誰かのせいにしたりしない、自分の選択に責任をもてる人たちの姿を、もしかしたら私は書きたかったのかもしれません。

――実際、千依さんもカラッとしているようで、いろんな葛藤を抱えて生きてきた人なのだということが、物語が進むにつれて明かされていきます。

名取 言いたいことはたくさんあるけど、誰かのために言わないでおくこと。自分がすっきりするためではなく、誰かのために言葉を選ぶこと。それもまた一つの大人の姿で、千依さんもこの物語を通じて、自分の選択に責任をとったのかもしれないなと思います。

――千依さんをはじめ、本作の大人たちは誰一人完璧ではないんですよね。間違えたり迷ったりしながら自分の選択をつかみとっていく。その姿が丁寧に描かれているのも、読者の心に響くと思います。

名取 央次郎は、その選びとるということがなかなかできずに、人の意見にふりまわされていたんだと思うんです。でも私はそれが悪いとは思わなくて、吃音のことで傷つく経験があって大学をやめてしまったことについても、「逃げてしまった、親に申し訳ないことをした」とうしろめたく思い続ける必要はないし、ふくろうハイムの日々が彼を「これでよかったんだ」「こういう自分になりたいんだ」と思える場所に導いてくれるものとして描けたのでよかったなと思います。その過程があったからこそ、住人であるかつての同級生に再会したとき、央次郎が手を差し伸べる姿を描くこともできたので。

――その同級生は、央次郎とはまた違うかたちで、他者からの視線や言葉に傷つけられ、家から出ることができなくなっています。他人の傷に寄り添い、その人のために憤ることで、自分の痛みもまた癒されることってあるよなと思いながら読みました。

名取 自分のために怒るのって、けっこう難しいんですよね。それこそ、断定的な物言いをする人に傷つけられて、そんなのおかしいと心のどこかでは思っていたとしても、なかなか反論することができずに、ずっと刃のような言葉が心から抜けてくれない。そのせいでどこにも行けなくなってしまうことは、少なくないと思うんです。だからこそ、誰かに「怒っていいことなんだよ」「あなたが下を向く必要なんてないよ」と言ってもらえることがとても大事なんだろうな、と。章を重ね、少しずつ、央次郎が外に開かれていくような物語になればいいなと思う中で、央次郎自身が誰かに寄り添う側に立つ場面も描きたいと思いました。

名取佐和子

過去を悔やむのではなく、未来を変えていくために

――本作は全部、他人ひと事ごとじゃないんですよね。認知症の家族を抱える住人のエピソードが描かれますが、なんだかおかしいなと思いながら見ないふりをする、その結果、ひずみがどんどん大きくなってしまうその家庭の姿は、央次郎の両親との関係にも重なりました。

名取 家族の問題って、まさにそこに集約されると思うんですよね。たとえば子どもの発達とか、高齢者の免許返納とか、このままではよくないのではないかとうすうす感じていても、もしかしたら個性の一つかもしれないし、本人が大丈夫だと言っているしと、相手を尊重することと、むりやりにでも介入することの狭間で揺れ続ける。自分自身のことなら、あとから選択を間違えたことに気づいたとしても責任をとることはできるけど、家族とはいえ他人だから踏み込みきれない。そうやって見て見ぬふりをしてしまった結果の一例を書いてみようと思いました。

――相談できる人が誰もいないと、よけいに身動きがとれなくなりますよね。作中にもありましたが、一緒に向き合ってほしいはずの夫が、相談されたことすら覚えていなかったりしますし……。

名取 それが家族であることの絶望ですよね。だからこの小説では、変えられない過去を悔やむのではなく、未来を変えていくために、みんなでおしゃべりしたり助言しあったりする理想を書いたのだと思います。千依さんのカルチャースクールもそうですが、家族以外の居場所をもつと、異なる価値観に触れて視界が開けることもあるし、人情だけでどうにもならないことは公的機関に頼るという選択肢も生まれますから。

――名取さんは本も一つの居場所として描かれることが多いですよね。かつての同級生と央次郎が『シンデレラ迷宮』(氷室冴子、集英社文庫)を一緒に読み、感想を語り合う場面があるように、今作でもさまざまなタイトルが登場人物に寄り添うものとして登場します。

名取 私が子どもの頃は娯楽が少なく、スマホもサブスクもなかったので、いつでも読むことのできる本に助けられることが多かったんですよね。アイテムとして登場させがちなのは、単に私が本が好きで、気づくと書いてしまうというだけですが、たとえば央次郎が『深夜特急』(沢木耕太郎、新潮文庫)が好きだというように、そのキャラクターがどんな性格なのかも伝えやすくなるのかなと思います。あとは、自分ひとりで現実に立ち向かうのが苦しいとき、異なる価値観に出合う場所の一つにもなりますよね。誰にも相談できなくても、本を読むだけで視界が開けることはある……と思うのですが、理想はやっぱり、現実に誰かと繫がれる場所があること。ふくろうハイムみたいなマンションはなかなかないかもしれないけれど、他人であっても近くに住む人のことを気にかける関係性が築けたり、どんな家族も、必要なかたちで地域と結びつくことができたらいいなと思いながら書いていました。

――ふくろうハイムの中だけで完結するわけではないのも、本作の魅力だと思います。たとえその場所を去ることになったとしても絶望しないで済むよう、どうすれば人と人とが手をとりあえるのか、社会を描く小説であるとも感じました。

名取 いきなり地域社会を描くのではなく、まずはマンションから始めてみようと思ったんですよ。次はもうちょっと広い世界を舞台に、またいろんな世代の人たちを描けたらいいなと思います。私の小説には悪い人が出てこないというのが良くも悪くも指摘されることではありますが、千依さんが案外どす黒いものを抱えていたように、その人のネガティブな部分もごまかさずに描いているつもりではいて。どんな人にも、いいところもいやなところもあって当然だからこそ、できるだけ見方をかえて、その人たちがよりよく生きようとする姿を描けたらいいなと思っています。

――もともとゲームのシナリオライターをしていた名取さんですが、今、小説として物語を届ける意義は、どんなところに感じていらっしゃいますか。

名取 小説は、最終的に倒さなくちゃいけない敵もいないし、最初から決まったビジュアルの印象に縛られることもない。ただ、その世界で生きる人たちの声に耳を傾けながら、広い世界を描いていける。と同時に、キャラクターの造形をことこまかに説明しなくても、読者の想像に委ねることができる。それがシンプルにすごく楽しくて。できるだけいろいろな人間の一筋縄ではいかない姿を描くことで、誰かのこわばっていた心がゆるんだり、登場人物と一緒に、ほんの少しだけ心が広くなったりする小説が書けたら嬉しいですね。

「小説すばる」2026年11月号転載